林武「ニース」
最近、近代洋画作家、特に巨匠といわれる画家の作品に惹かれている。前々から好きだったのだが、自分でも買えるとわかって以降、より一層、惹かれるようになっていった。
実際、一年間、飲まず食わずでお金を貯めれば、そういった画家のそこそこの絵は買える。買えるけれど、作品が大きいという欠点があるので、中々、買えない。広いリビングがあるならいざ知らず、狭い部屋の中だ、十号は飾れないし、置き場所にも困る。買うとしたら、小品。それも、サムホールぐらいの大きさ、そう決めている。
ある日、林武の風景画を見つけた。南仏ニースを描いたサムホールの小品で、戦後の絢爛豪華な厚塗りの作風が思い浮かぶのだが、この絵はそれとは真逆の大人しい独特の静けさが漂っている。
一九三六年の作品に「ニース」という三十号の油彩があるので、おそらくそれの関連作ではないかと考えられる。
ちょうど同じ頃、私は版画堂に作者不詳の絵の問い合わせをしていた。だが、冬季休廊中で返事が返ってこなかった。
そのまま待てば良いのだが、生憎と短気であるので、居ても立ってもいられなくなり、気が付けば、この林武の絵を買っていた。
改めて見ると、爽やかな風景画である。でも、何故だろうか、見ていると心が騒つく……、そんな気がする。でも、良い絵だ。
電柱のある風景
ある日、版画堂の目録に一枚の絵を見つけた。裏に広津和郎画とある作者不詳のなんの変哲もない小品だった。広津和郎といえば、小説家だが、本当に彼が描いたものなのかはわからない。絵も描いていたらしいが、画像が出てこないのでなんともいえない。
私は、この絵を一目見て気に入った。理由などない。とにかく良いのだ。何が〜、どこが〜、という理屈など抜きにして、とにかく良い。多分、名画と呼ばれているものの半分くらいは、同じような理由なんじゃないかと思っている。
私は、すぐさま問い合わせのメールを送った。だが、冬季休廊中で返事が返ってこなかった。
そして、二日くらい経ってから絵の返信が来て、在庫があることがわかった。迷うことなく買った。
案の定というべきか、額縁には広津和郎と記されたプレートが取り付けられていた。
でも、サインはない。だが、良い絵であることだけは確かだ。白馬会系のような明るいタッチで戸外の風景を描いている。陽射しが強いように思えるから夏の風景かもしれない。
左側にあるのは、住宅と板塀のように見える。大船にスケッチに行っていたらしいので、その辺りの風景なのだろう。 とにかく、良い。理由とか理屈とかは、ない。良い絵は理屈無しに良いのだ。
縁があるということ
骨董や美術品には物縁というものがあり、縁がなければどんなに大金を積んでも買えないが、縁があると驚くべき安さで買うことが出来る。それは、ソシャゲのガチャも同じである。
去年の暮れに五千円で落札した一原有徳の小品二点(しかも一点はモノタイプ!)や二〇二〇年に落札した森清次郎の絵(これも五千円ッ!)などがその典型で、これはすんなりと落札できた。
今回の浦上玉堂もそういった縁があった作品で、すんなりと落札できた絹本に描かれた小幅である。木の下に高士が佇むという画題のようで、印章はよく見る玉堂所用のものである。全体の雰囲気やバランスもよく、軸装も丁寧で、箱も当方が所蔵する作品の箱とよく似た丁寧な作りのもので、張り札から何かの売立か入札会に出された作品と考えられる。
しかし、何というか、近くでじっくりと見ると少し怪しくも思えてくるような作品である。
こういう書体なのかわからないが、字は何処か辿々しく、近景と遠景の境目が不明瞭で、遠景に至っては一気呵成に勢いだけで描いている感がある。極め付けは人物で、高士というよりは、東屋の下で腹筋をしている人に見えなくもない。
とにかく、色々と怪しくも思えてくるが、可愛らしく、それでいて全体的に纏っているように見えるから不思議で、それがこの絵の魅力でもある。