浦上玉堂の話
浦上玉堂は文人画の中で結構好きな画家です。
玉堂の作品を始めて知ったのは、静岡市立美術館で開催されていた川端康成と東山魁夷のコレクション展で、その時、私は蕪村と大雅の合作「十便十宜図」や古賀春江の「煙火」、それに東山魁夷が初めて買ったという長谷川利行作品を見るために美術館に行きました。
川端康成のコレクションはどれも見事な物ばかり。仏像にしても、絵にしても良い作品が揃っていました。特に平安時代の千手観音の掛仏はプロポーションが良かった。
目当ての十便十宜図は入って二つ目の部屋、掛仏や煙火と同じ部屋のガラスケースの中に置かれていました。
その隣ぐらいに浦上玉堂の「凍雲篩雪図」がありました。
圧倒的なスケール。
しばらく目の前のベンチに座りながらぼんやりと眺めていました。
それから一年くらいして玉堂の作品を手に入れました。画題は蜀桟道図です。
夜の雪山を三人の人物が馬に乗って登っている光景が描かれています。
掠れた線はいかにも玉堂らしいですが、印章が怪しく思える点、奥行きが微妙な点など真贋についてはかなり怪しく思っています。
ただ、絵としては良いものなので気に入っています。
玉堂の作品を始めて知ったのは、静岡市立美術館で開催されていた川端康成と東山魁夷のコレクション展で、その時、私は蕪村と大雅の合作「十便十宜図」や古賀春江の「煙火」、それに東山魁夷が初めて買ったという長谷川利行作品を見るために美術館に行きました。
川端康成のコレクションはどれも見事な物ばかり。仏像にしても、絵にしても良い作品が揃っていました。特に平安時代の千手観音の掛仏はプロポーションが良かった。
目当ての十便十宜図は入って二つ目の部屋、掛仏や煙火と同じ部屋のガラスケースの中に置かれていました。
その隣ぐらいに浦上玉堂の「凍雲篩雪図」がありました。
圧倒的なスケール。
しばらく目の前のベンチに座りながらぼんやりと眺めていました。
それから一年くらいして玉堂の作品を手に入れました。画題は蜀桟道図です。
夜の雪山を三人の人物が馬に乗って登っている光景が描かれています。
掠れた線はいかにも玉堂らしいですが、印章が怪しく思える点、奥行きが微妙な点など真贋についてはかなり怪しく思っています。
ただ、絵としては良いものなので気に入っています。
厨子入り阿弥陀如来坐像
木製の厨子に納められた木造阿弥陀如来坐像です。像と台座は別材から彫り出されたと思われます。
本体は僅か四.五センチほどですが、精緻な彫りにより全体を破綻なくまとめています。
表面には彩色が施されており、その上から截金による繊細な模様が施されています。
個人的にはこの仏像は快慶、もしくはその周辺の慶派仏師による仏像を縮小して写した江戸時代の作品なのではないかと考えています。
理由としては、体部の衣紋の彫りは浅く、平面的なのに対し、膝の辺りの衣紋は深い彫りであること、右襟の辺りのたるみの表現、表情、衣が通肩であること、小さいながら造形に破綻がないことが挙げられます。
光背と台座は金泥塗りで、光背は金泥の上から彩色を施しています。
蓮弁はほとんど剥がれてしまっています。
厨子は木製で、外面は漆箔。内部は漆箔又は金泥塗りです。内部の方が赤金で、外面は青金のように見えます。
厨子上部の紐を通す為と思われる金具や大きさから、裕福な人が注文した携帯型の念持仏だと考えられます。
本体は僅か四.五センチほどですが、精緻な彫りにより全体を破綻なくまとめています。
表面には彩色が施されており、その上から截金による繊細な模様が施されています。
個人的にはこの仏像は快慶、もしくはその周辺の慶派仏師による仏像を縮小して写した江戸時代の作品なのではないかと考えています。
理由としては、体部の衣紋の彫りは浅く、平面的なのに対し、膝の辺りの衣紋は深い彫りであること、右襟の辺りのたるみの表現、表情、衣が通肩であること、小さいながら造形に破綻がないことが挙げられます。
光背と台座は金泥塗りで、光背は金泥の上から彩色を施しています。
蓮弁はほとんど剥がれてしまっています。
厨子は木製で、外面は漆箔。内部は漆箔又は金泥塗りです。内部の方が赤金で、外面は青金のように見えます。
厨子上部の紐を通す為と思われる金具や大きさから、裕福な人が注文した携帯型の念持仏だと考えられます。